2010年11月5日金曜日

4つの地区の特徴

この付近の4つの地区の特徴をまとめました。


[城巽地区]
城巽地区(元学区)の城巽は、築城が400年の二条城(東南)から辰巳(巽)の方角になることから名づけられました。
古くは平安時代、関白藤原基経の大邸宅であり、堀河院(里内裏)藤原良房の京三条院等公家邸宅がありました。また、醍醐天皇の皇子の高松殿、豊臣秀吉の妙顕寺城跡、江戸時代には大老土井利勝屋敷跡(現京都堀川音楽高等学校)や、福井藩邸跡がありました。
明治から大正・昭和10年期には堀川で友禅流しの染処の町として栄え、現代も和装工芸の職住の地域ですが、御池通に高層ビル、マンション/ワンルームマンションが建て替えられ、世帯が増加しています。

[龍池地区]
龍池地区(元学区)は、北は二条通り、南は三条通り、東は烏丸通り、西は新町通りに囲まれた地域です。
江戸後期以後、上京二十五番組小学校が創設された両替町御池あたりは、「御貸地」であり、地名がなく、明治3年に、鎌倉時代に栄えた二条関白の邸「二条殿」にあった「龍躍池」(たつやくいけ)に因んで、龍池町と命名されたことに由来しています。

[本能地区]
本能地区(元学区)は延暦13年、京都に都が遷されてから開けた所で、左京永昌坊に属し、主として貴紳の邸宅に当てられていました。
このあたりの良質な地下水を活用し、京染の生産地として発展してきました。地域には京染をはじめ伝統産業の職人が住まいし、京の暮らしを支えるものづくりや、商いがされてきました。
近年、和装産業の活力低下などにより、地域の経済力が低下し、京染などの工場が無くなった跡地に高層の共同住宅が次々と建設されるなど、町の変化が急激に進みつつあります。

[明倫地区]
明倫地区(元学区)は京都市内の中心部に位置し、平安時代から、特に織物関係の業者が多く、公家等との交流も早く、商業、経済の振興などの文化が栄えました。
「明倫」の名称は、小学校設立当時、その地にあった石門心学の私塾「明倫舎」に因んだものです。
都として、行政面からも安定する必要から社寺の建立があり、また、祭を通じて生活の安定を図りました。
祇園祭では、明倫地区内で現在13の山鉾があり、現在全部で32ケ所の建立地点を有し、民衆の理解が深まり「祇園御霊会」と称しました。かつては将軍家でさえ、行政面での日程など空けた程です。祭の目的は今も疫病退散の願いがあります。

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