平安時代中期の念仏僧として著名な空也上人(902ー972)が、天慶2年(939)に念仏流布の拠点として三条櫛笥あたりに開いたのを発端とする。寺院ではなく念仏修行の場であったため、櫛笥道場、市中道場などと呼ばれていた。
応仁の乱で焼失したが、江戸時代の寛永年間(1624ー1644)になると、空也堂が現在の光勝寺と同じ場所におかれる。本堂には空也上人自作と言われる像を本尊として安置していた。毎年寒中になると空也堂の「鉢叩き」と呼ばれる人々が腰にひょうたんをつけ、鉦を叩きながら念仏を唱え町中を練り歩いたといい、その光景を1690年12月に目撃した松尾芭蕉は、「乾鮭も空也の痩も寒の中(からざけもくうやのやせもかんのうち)」という句を残した(ここでの空也=空也僧のこと)。
毎年11月の第二日曜日にはここで空也上人を偲んで「空也忌」の法要が営まれる(「空也忌」自体は11月13日)。
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